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千葉地方裁判所 昭和46年(ワ)462号 判決 1975年12月25日

原告

前川慶司

外一名

右原告ら訴訟代理人

浜名儀一

外一五名

被告

千葉県

右代表者

友納武人

右訴訟代理人

出射義夫

松尾巌

外五名

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実《省略》

理由

一昭和四六年五月一三日、午後五時四〇分頃、原告両名の子である訴外前川広海(昭和四二年三月一九日生)は、千葉県君津郡富津町下飯野山王、飯野神社付近農道を通行中、犬に襲われ、頸動脈に達する左頸部咬創及び前胸部から両側大腿背部にかけて無数の咬創を受け、これにより死亡したことは、当事者間に争いがない。

二<証拠>を綜合すれば、事故当日の午后五時二〇分頃、前川広海は、母よりお使いを頼まれた姉静代(六歳)と連れ立ち、富津市下飯野八八五番地の自宅から約一〇〇米位離れた同所八五二番地平野青果店に、小銭を持つて飴を買いに出かけたこと、姉は大通りを通り、広海は姉と別れて大通りから一〇米乃至一五米離れた草原の中の農道上を通つたこと、姉静代は、広海が農道上で犬に取囲まれている姿を見たが、そのまま平野青果店に行き、買物をすませて、大通りを戻つたところ、広海が農道上で犬に襲われている状態を見て泣き乍ら帰宅し、この旨を母サダ子に告げ、母は家を飛出し農道に駆けつけたところ、中型犬よりやや大きい体長約一米に近い犬三頭(一頭は白と茶のぶち、一頭は白、一頭は不明)が広海の周辺をうろつき、広海はうつ伏せに倒れていたこと、直ちに同人を抱き上げたが、顔は泥まみれとなつており無数の咬傷を受けており、うち一頭の犬は広海を抱え上げたサダ子にも飛びついたが、追い払われ、三匹はそれぞれ逃走したこと、右三頭の犬は、首環をつけておらず、付近の飼い犬でもなく、又、特に当時、そのあたりをうろついている犬として見かけた犬でもなかつたことが認められるが、被害者がどの様な状況の下に犬に襲われたかは明かではない。

三<証拠>によれば、本件事故後、付近の飼い犬を調査し、飼い犬の中には該当犬は見当らなかつたこと、加害犬を捕獲するため、野犬等の捕獲、薬殺、銃殺等を行い、銃殺された野犬等の中に加害犬らしい犬があつたとの報告はあつたことは認められるが、<証拠>によれば、加害犬であると確実に認定するに足る犬はなかつたことが認められる。

然しながら、上記のとおり、加害犬は首環を着けておらず、付近の飼い犬でもなかつたことから、後記千葉県犬取締条例にいう「野犬等」に該当し、且つ、狂犬病予防法にいう「鑑礼、又は注射済票をつけていない犬」に該当し、本件事故が斯かる野犬等による加害事故であることは明かである。

四原告等は、上記事故は、被告千葉県知事並びに職員の野犬捕獲等の作為義務違反が原因であるとして、国家賠償を求めているところ、先ず、野犬等に対する取締の法令上の根拠を検討することとする。

(一)  先ず、犬に対する取締法は、狂犬病予防法がある。

同法第一条は、「狂犬病の発生を予防し、そのまん延を防止し、これを撲滅することにより、公衆衛生の向上及び公共の福祉の増進を図ることを目的とする」。旨を規定しており、同法は、動物のうち犬の狂犬病について原則的に適用するものである。

そのための通常の措置として、犬の所有者に対し、犬の登録及び予防注射の義務を定め、同法第四条第一項及び第三項は、「犬の所有者は、厚生省令の定めるところにより毎年一回その犬の所在地を管轄する都道府県知事に市町村長を経て犬の登録を申請しなければならない」。右登録申請の結果交付された鑑礼について、「犬の所有者は、鑑礼を犬につけておかなければならない」。同法第五条、第一項及び第三項は、「犬の所有者は、その犬について狂犬病の予防注射を六ケ月ごとに受けさせなければならない」。「犬の所有者は、注射済票をその犬につけておかなければならない」。と規定している。

一方、都道府県知事に対し、同法第三条は、「当該都道府県の職員で獣医師であるもののうちから狂犬病予防員(以下予防員という)を任命しなければならない」。同法第六条は、「予防員は、第四条による登録を受けず、若しくは鑑礼を着けず、又は第五条による予防注射を受けず、若しくは注射済票をつけていない犬があると認めたときは、これを抑留しなければならない。予防員は前項の抑留を行うため、あらかじめ県知事の指定した捕獲人(狂犬病予防法施行規則第一四条によれば、捕獲人を狂犬病予防技術員と称する)を使用して、その犬を捕獲することができる」旨を規定している。

(二)  <証拠>によれば、犬に対する取締は、前記狂犬病予防法を根拠として、地方自治団体たる被告が国の機関委任を受けてその業務を行つているものであるところ、保健所法第一条、第二条により、保健所がこれを担当しているものである。

狂犬病予防法の企図する狂犬病の撲滅は、昭和二九年頃以降は、千葉県内から駆逐され、その後全く発生しない状況にあり、尚社会の安定、生活状態の向上に伴い、ペツトとしての犬の飼育が盛んとなり、その結果、繋留されていない犬による人畜の咬傷、農作物に対する被害が続発し、(右被害の続発したことは当事者間に争いがない)犬による危害の様相に変化があつたため、千葉県は、昭和三六年、狂犬病予防法とは別に独自に、「飼い犬取締条例」を制定し、飼い主に飼い犬の繋留義務を課す等の遵守事項を定めたが、その後放し飼いの犬及び野犬による人畜の被害が増大したため、飼い犬のみを対象とするに止らず、広くこれ等野犬等を含めて取締の対象とするのを相当として、昭和四三年一〇月三一日、新に「千葉県犬取締条例」を制定し、「飼い犬取締条例」は廃止されるに至つたものであることが認められる。

(三)  千葉県犬取締条例(以下条例という)第一条は、目的として、「この条例は、人の身体又は財産に対する犬の危害を防止し、もつて社会生活の安全を確保するとともに、公衆衛生の向上を図ることを目的とする」と規定している。

同条例の対象となる犬は、

(1)  飼い犬――管理している者のある犬

(2)  野犬等――管理者のない犬及び飼い犬であり乍ら管理者が同条例第三条の義務に反し、繋留されず抑留されていない飼い犬

の二種である。

(1)の飼い犬については、同条例第三条において、「管理者は、その飼い犬を他人の身体又は財産に危害を加えないようにけい留し、又は抑留しなければならない」として、飼い主に繋留等の義務を課し、(2)の野犬等については、同条例第八条において、「知事は、あらかじめ指定した職員(以下「指定職員」という。)をして野犬等を捕獲し、又は抑留させることができる」、第九条において、「知事は、野犬等が人畜その他に危害を加えることを防止するため緊急の必要があり、かつ通常の方法によつては野犬等を捕獲することが著しく困難であると認めたときは、区域及び期間を定め、薬物を使用して野犬等を掃とうすることができる」旨を規定している。

(四)  以上であるから、野犬等の取締は、狂犬病の予防を主目的とする公衆衛生上の見地から行う「狂犬病予防法」と、上記人の身体、財産に対する犬害防止を主目的とする社会生活の安全、公衆衛生上の見地から行う「千葉県犬取締条例」の二本建のもとに、被告県がこれを行つているものであり、地方自治法第二条、第三項に規定する「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持する」がためのものであつて、狂犬病予防技術員、捕獲人、指定職員をして行わせる犬の捕獲行為は、行政機関が優越的な地位において行う行政作用のうちの事実作用と解される。

五ところで、県知事、県の職員が野犬等を捕獲しないという不作為について、これを違法として国家賠償を求めるについては、その作為義務が前提となるべきである。

(一)  県知事は、地方行政の主宰者として、憲法第二五条の理念に基き、地方公共の秩床を維持し、住民及び滞在者の安全、健康、及び福祉を保持し、防災等の事務を処理する責任があることは、地方自治法第二条により明白であるが、これ等の規定は、すべての住民が安全で健康な生活をなし得る福祉社会の実現を理想として、そのような生活を営み得るように行政を運営すべきこと宣言し、地方行政事務のうち防災があることを例示したものと解され、直接個々の住民に対して、これ等を要求する具体的権利を付与したものとは解されない。従つて、県知事としては、野犬等による被害のない安全な環境を与えるべき行政上の責務はあるとしても、右規定により、野犬等の取締について法的義務を負担するものとは解されず、犬についての狂犬病予防法及び条例については、後記認定のとおりである。

(二) 知事より任命された予防員及び捕獲人については、狂犬病予防法第六条によれば、上記のとおり、「登録を受けず、若しくは鑑礼を着けず、予防注射を受けず、若しくは注射済票を着けていない犬があると認めたときは、これを抑留しなければならない」との規定を設けていることから、予防員がこれ等の犬を現認し乍ら、抑留せず、その結果、狂犬病による被害が発生した場合は、まさに作為義務違反として、その責任を負担すべきであり、又抑留するがための前提として捕獲が必要とあれば、捕獲を命ずべき義務があるものと解されるが、同法第六条、第二号は、第一号を受けて、「予防員は前項の抑留を行うため、捕獲人を使用して、その犬を捕獲することができる」と規定しており、同法が、犬は古来から人間社会において広く家畜として飼育され、農村においても都市においても人間生活と深い係りあいをもつて共に生活している現実から、動物のうち特に犬の狂犬病を予防撲滅する必要があり、その結果、一般住民に対し、飼い犬に狂犬病予防注射を受けさせることを徹底させること義務付け、そのために犬の登録、登録票、注射票の着用を命じ、その反面、これ等を行わない犬については、行政当局が捕獲して処分する権限を与えてこれ等の犬の一掃を図つたものであり、その捕獲処分を飼い主をして受容させることが本来の趣旨と理解される。同趣旨からすれば、上記のとおり予防員がこれ等の犬を現認したときは、狂犬病の予防のため、抑留すべきであることは否定できないとしても、さりとて地域住民が、同法による登録、注射等を行わずに放置している犬に対し、予防員及び捕獲人をして、広く積極的に捜し求めて捕獲抑留すべきことを、同法上の一般的義務として規定したものと解することはできない。

(三)  勿論、行政のあるべき理念としては、これ等現認された犬を除き、放置されている犬をも一掃して、狂犬病の発生を予防、撲滅すべきであることは、地域住民の安全健康のため望ましいことであることは明白ではあるが、(上記認定のとおり、近時狂犬病は殆ど絶滅されて、千葉県内においては昭和二九年以来その発生をみないものである)本来これ等の犬の捕獲一掃によつて受ける住民の利益は、狂犬病の危険のない快適な生活環境を与えられるという反射的利益にすぎないものと解される。

(四) 千葉県犬取締条例においても、上記の制定の趣旨から、住民に飼い犬を繋留又は抑留すべき義務を課すことをねらいとしたものであり、これ等義務を履行しないで野放しとなつている野犬等を、「知事は指定職員をして捕獲・抑留することができる」と規定しており、知事及び職員に捕獲の権限を与えたものと解され、これ等野犬等に対し、上記狂犬病予防法について述べたと同様に積極的に捕獲、抑留、処分すべき法規上の義務を課したものと解することはできない。又、同法第九条が、「犬害防止の緊急の必要がある場合に、薬物を使用して掃蕩することができる」旨を規定しているが、これも同法施行規則第五条により、「市町村長から保健所長にその旨の申出があつたときに行う」として、薬物使用の危険性からその権限に制限を加えられているものであり、同規定からしても、これ等市町村町からの申出のない状況のもとに積極的に薬物掃蕩を行うことが法規上の義務とは解されない。

(五)  以上のとおり、住民は法律上の権利として、一般的に野犬等の一掃を求めることはできないとしても、狂犬病予防注射をしていない犬を発見した時は、進んでこれを保健所に申告して、その抑留を求めるとか、又は野犬等が横行てし犬害の発生が予測される場合に、その捕獲を求めてその実情を知らしめ、その権限の発動を促すことは当然なし得るものであり、更にすすんで、所謂人間の飼育しない野犬(菅理している者のある犬であつて、放し飼いとなつている犬による被害は、本来飼い主がその占有者として損害を賠償すべきであり、又繋留義務にも反しているものであるから、斯る犬による被害について、指定職員等の捕獲の不作為による賠償責任はないと解する)が、繁殖増加して住家付近を横行徘徊し、狂犬病による被害が発生するおそれ、又は、一定地域の住民に対して犬による危害が発生する危険がそれぞれ具体的に切迫しており、これを放置するときは、地方住民の安全健康が保持できないことが相当の蓋然性をもつて予測される様な状況のもとにおいて、斯る状況を、知事、予防員、捕獲人、指定職員が容易に知り得る場合は、一般住民としては、これ等の者に対して、社会通念上、野犬の捕獲取締を期待し得るものというべく、斯る特別の場合は、上記職員は、野犬を捕獲すべき作為義務があるものと解するのを相当とする。

六そこで、本件が、上記の知事、職員の作為義務違反に該当する特別の場合にあつたか否かの点について検討する。

(一)  昭和四五年度における咬傷、農作物、家畜に対する被害が、原告等主張のとおりであり、木更津地区における咬傷被害は二九件であることは、被告の認めるところであるが、右は広く犬による被害であつて飼い犬(未登録犬を含む)をも含み、うち野犬によるものの数は不明であり、右被害数をもつて、上記特別の場合に直ちに該当するとも云い難い。

(二)  昭和四五年七月二七日、館山市内において、利田正夫方の嬰児が犬に持去られ、咬傷により死亡したこと(館山事件という)、昭和四六年四月九日、夷隅郡岬町において、石川武男(一〇歳)が飼い犬に咬殺され、吉野滋(七歳)が同飼い犬により咬傷を受けたこと(岬町事件という)、同年五月一二日、君津郡君津町人見において、佐々木マリ(五歳)が犬により咬傷を受けたこと(人見事件という)は、当事者間に争いがないが、<証拠>によれば、右事件のうち、館山事件についての加害犬は、飼い主がなく部落に住みついた野犬であると認められるが、岬町事件は、抑留されていた飼い犬(グレートデン)が鑑を破つて出た結果の事故と認められ、人見事件についても、被害者は、加害犬は被害者の住居付近の飼い犬であると申告しており、野犬ではないものと推察され、同事件は同日夕方その報告があつたことが認められる。尚<証拠>によれば、岬町事件後勝浦保健所において野犬等の掃蕩を行つた結果、捕獲犬八〇頭のうち首環を付けた犬が六〇頭にも及び、野犬等のうち可成りの頭数の犬が無責任な飼い主による飼い犬と推察される。

(三)  館山事件については、<証拠>によれば、被害の発生した地域は、深い藪に囲まれている所であり、加害犬は同部落に住みついた野犬であることが判明したことから、同地域において薬殺を行い、事件の二日後、犯犬の薬殺死体を発見したものであること、斯様ないたましい事故が発生した結果、野犬を一掃する必要が痛感されたため、被告県は右事故をふまえて、各保健所に対し、昭和四五年九月一日以降同月三〇日迄の間を野犬一掃運動を行うものとして、(昭和四二年度から全国的に例年秋頃行つているものであるが)特に強力に推進することを求め、各保健所はこれに基き、野犬の捕獲、犬の所有者に対する啓蒙と不要犬の買上げに努めた(県下捕獲頭数二、九七三頭、引取、買上、その他合計頭数五〇三頭)ものであることが認められる。

(四)  <証拠>を綜合すれば、本件事故の発生した富津町(現在は旧富津町、大佐和町、天羽町を含み富津市)は、木更津保健所の管轄内にあり、(木更津市、君津市、富津市、袖ケ浦町)元来、保健所は、概ね人口一〇万人を基準として設置されたものであるが(保健所法施行令)、京葉工業地帯として、木更津市、君津市が急速に発展しつつあり、本件事故の発生した富津市下飯野山王地区は、君津市の南西に隣接し、もともと閑静な農村地帯であり、現在も同様ではあるが、君津市に新日鉄の工場が開設され、同市の発展に伴い同市周辺も次第に開発のきざしがあり、その影響からか右下飯野地区も野犬等の増加が幾分みられる状況にあつたこと、山王部落はおよそ戸数三〇〇戸であり、これが数個の隣組に分れており、うち一隣組の戸数二六軒のうち飼い犬を所有している家は一一軒あつたことが認められ、農村地帯ではあるが、可成りの飼い犬数があつたことが推測される。

<証拠>を綜合すれば、本件事件前頃、犬が田園を二、三頭で駆け廻つたり、その辺を歩き廻つたりしていることを見掛けたことがあつたり、犬が畑を荒らして、農作物、ビニール囲いを破つたり、鶏が食い殺されたことがあつたことが認められ、<証拠>は、事故前野犬が多くなつたとの話を聞いたり、子供が犬に追いかけられたのを見たり、昭和四六年四月中旬頃、自宅の鶏が咬み殺された事実があり、知人からも四、五ケ所そのような被害があつたことを聞き、危険を感じており、野犬を捕獲して貰い度い意向をもつていたことが認められるが、子供が犬に追いかけられたことは一度これを見たに過ぎないし、これ等の被害が、飼主があり乍ら繋留されていない犬であるか、又は飼主のない所謂野犬であるかは、いずれも明かではないし、山王地区における飼い犬も可成りの数に上ることが推察されることは上記のとおりであり、農村地帯であることから、これ等飼い犬を繋留しないで飼育したり、時に繋留から解き放つ家庭もあることも窺われるところであり、これをもつて、人の飼育しない犬が特段に増加して危険の状態にあつたものとも断定しがたいし、却つて、<証人>によれば、同人等はいずれも本件事故付近に居住しているが、本件事故前に同地区に野犬がうろつき徘徊して特段に恐ろしいとか危険な状態を見聞きしたり、感じたことはなかつたこと、又本件事故前に、学童、幼児が犬による何等かの被害を受けたこともない旨を述べており、特に証人八田英夫は、同地区飯野小学校の校長であり、同人宅も犬を飼育しており、学童の安全の見地から、犬についての関心も深かつたことが窺われるから、同人等の証言は信用できるものと解されるし、尚<証拠>によれば、富津市においては、毎年夏花火大会が行われるため、その前頃野犬を掃蕩するための毒殺を行つていることが認められ、毎年或程度の野犬は掃蕩されていることが窺われるし、<証拠>を綜合すれば、同地区に野犬等が多い等の苦情、上申等はいずれもなく、又、同地区からの野犬の掃蕩の要望もなく、特段に野犬が多い状況は察知できなかつたことが認められる。

もつとも、<証拠>を綜合すれば、木更津保健所管内において、昭和四六年五月一二日以降同年六月一〇日迄の約一ケ月間における野犬等の掃蕩数は、捕獲頭数合計三二六頭、うち富津市における捕獲頭数が八〇頭、薬殺頭数合計九二頭、うち富津市は一九頭、射殺頭数合計七頭、いずれも富津市におけるものであり、以上合計四二五頭であり、(県内、捕獲三、六〇六頭、薬殺四九一頭、引取り買上等二、二九八頭)前年度における同管轄地内における四月、五月の通常の捕獲業務による捕獲数二四八頭、二五八頭(年間平均一月二三九頭)に比較して相当増加していることは明かであるが、これは、上記館山事件、岬町事件による幼児、児童に対する殺傷事故が起きたことを契機として、野犬等を一掃する目的で、千葉県は独自に、各保健所に対し、昭和四六年五月一〇日以降同月末日迄「犬による危害防止対策推進旬間」を特別に定めて、各関係機関との協力体制を組んで犬の捕獲を行つたり、犬の繋留を励行させるための啓蒙宣伝等の実施、不要犬の買上価格を一頭一〇〇円(従前五〇円)に値上げして、捨犬等の防止を図る等の運動を実施させたものであり、その期間中、更に上記人見事件が発生し、その翌日本件事件が発生したため、引続き同年六月一日以降一〇日迄、更に「犬による危害防止対策推進特別強調旬間」を実施することとなり、その特別の期間中の成果であり、上記富津市の捕獲等数量のうち、下飯野地区における捕獲頭数は一三頭、薬殺九頭、銃殺七頭の合計二九頭であり、これは、本件事故の結果、加害犬の発見捕獲のため、住民その他の特別の協力を得た上の成果であること、<証拠>によれば、もともと木更津管轄内の登録犬数は四、〇〇〇乃至五、〇〇〇頭であり、野犬等の数はその半数位ではないかとの推定を述べ、<証拠>は、登録犬は飼い犬のうちの三分の一程度と推測する旨を述べ、野犬等及び野犬の数量は必ずしも明かではないが、上記下飯野地区における飼い犬数の推測からしても、これ等頭数が捕獲されたことをもつて、直ちに特段の危険な状態が切迫していたものとも断定できない。

<証拠>によれば、現在所謂山犬と称せられる純粋の野犬は、千葉県内には殆どおらず、通常野犬は、飼い犬が捨てられて野良犬となり、これ等の犬と、その野良犬の子が繁殖増加したものであり、これは卑竟無責任な飼主としての一般住民がその原因を与えているとも云い得るものであり、本来野犬は、一定地域に居住して、その行動半径も左程広いものではなく、通常の状態において人間を加害攻撃を常とするものではなく、特に発情期とか繁殖期、その他攻撃を受けるとか空腹その他の条件によつて偶々危険な状態が発生し得るものであることが認められる。

(五)  以上のとおり、被告は「条例」を制定して犬害の防止を図つていたものであるが、昭和四五年度における館山事件、昭和四六年四月の岬町事件の発生により、犬の発情期、繁殖期を控えて犬害の発生する危険のあることが推測されるところから、特に犬害を防止すべく、同年五月一〇日から「犬による危害防止対策推進旬間」を策定実施してその取締・野犬の一掃を行つていたものであり、偶々右期間中不幸にして本件事故の発生をみたものであるが、本件地区付近の状況が、特段に一般住民に対する具体的な危険の発生がさし迫つていたものとも認められないこと上記のとおりであるから、同事故による野犬を捕獲しなかつたことをもつて、知事、保健所長、予防員、指定職員等の作為義務違反と解するには至らない。

七以上であるから、野犬等を掃蕩しなかつたことをもつて、県知事及び県職員の作為義務の違反として、国家賠償法による損害賠償を求めることはできないものというべく、原告等の本訴請求は理由がないので、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。(大内淑子)

別表 (一)、(二)、(三)<省略>

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